大正4年、祖父の代から宇治茶卸業を営む家に生まれた。
休日でも作業着でいる父。
いつも仕事をしているイメージがあり、この道に進むことを、どこか…、躊躇う自分がいました。
「継いで欲しい」と言われたこともなく、二十歳の頃まで、真っ赤な髪をし、バンド活動にのめりこんでいました。
けれど、どこか家業のことは引っかかっていた気がします。そのうち夢を諦め、他の仕事に就きたい…、とも思えず、静岡に修行に出たのです。
とにかく、一度京都を離れ、別の地で頑張ってみようと。
すると、今までとは違う景色の中で、どんどんお茶に惹かれていく自分がいました。
そうして、二十六歳の頃、この道で生きて行こうと決心し、京都に戻りました。実は今でも、家に帰った日の両親の笑顔が忘れられません。
「あぁ、待ってくれていたんだ」「やっぱり、家業を継いで欲しいって思っていたのだろうな」そう思いました。
しかし、そこからが苦労の連続でした。京都と静岡ではお茶の生産から製造、販売方法まで何もかも違います。
また一から勉強です。そのうえ、私がいない間も家を支え、守ってくれた職人さん達がいましたから、すぐに居場所がある訳でもない。
若かったのでしょうね…、焦っていたのだと思います。そんな時にある方から「君の信用で買うんやない。お父さんがいるからこそ買うんや」といわれたのです。
その時は、厳しいなと思いました。でも今なら、その意味が分かります。
生産農家、茶問屋、小売店、みな、先祖代々続いている。そこには、目に見えない想い、日々の努力の積み重ねがあり、
それら全てでお茶は作りあげていくもの。家業を継ぐをいうことは、その人達との想いとも繋がっていくということ。
真剣にお茶に向き合う人たちと出会い、心意気を感じ、そして、自分の中にも宿り、育つ。
今、私は、あの遠い昔、半端だった頃の想いとは違い、間違いなくお茶の世界にのめり込んでいる。
だからこそお届けできるようになった「奇跡の一滴」。これを手にしていただき方との「一期一滴」を大事に、今日もまた、日々精進です。
代表 大谷 豊